冒頭文
1609(慶長14)年、加賀前田家2代当主・前田利長が高岡城を築いた際、城下の西側を商人町としました。一国一城令により高岡城は廃城となりましたが、3代利常は商工業の町へと転換を図り、やがて米や綿等の集散地として発展、高岡は越中における商業の中心地として繁栄を極めました。
当時の大動脈旧北陸道に沿う「通町」「御馬出町」「守山町」「木舟町」「小馬出町」と、「一番町」「三番町」「源平町」「二番町」、そして「坂下町」の10カ町は、「高岡御車山」を継承することから「山町」と呼ばれます。また坂下町は山車ではなく、御車山を先導する獅子頭・源太夫(げんだい)獅子を保有しています。
山町の町民たちはその経済発展を担うとともに、華麗な御車山を伝承し、誇りにしてきたのです。